F log
浅川紫織のニキヤ より続いて今度は F が 熊川版「ラ・バヤデール」 について妄言を吐きます。
K-Ballet 設立 15 周年記念として制作された「ラ・バヤデール」はたいへん意欲的なプログラムで F & F 嫁ともとても楽しみました。
壮大なセット、そしてその崩壊、影 24 人〜 32 人を同じレベルで揃えること、ニキヤとガムザに存在感のあるキャストを配すること‥
素人が考えても難題山積みの難しい演目だと思います。
御大の思い入れも含め、K-Ballet はその難問を高い次元でクリアしたと思います。
前 log で F 嫁が書いたように、我々夫婦は「ラ・バヤデール」という演目が大好きなんです。
存在感のある役が多いし、情念たっぷりのケレン味溢れる芝居も堪能できます。
もちろんヴァリエーション、パ・ド・ドゥ、群舞など、バレエのテクニックも大いに楽しめます。
あと音楽も好きなんですよねぇ。
バヤデールの事を語り出すと止まらないくらいです。
であるが故に重箱の隅をつつくような瑣末な事も気になってしかたないんですよ。
いろいろネガティブな事も書きますが、一ファンの備忘録としての戯言ですからどうかお許しください。
では思いつくまま順不同で書き連ねてまいります。
RICOH GR
↑ ビデオ撮ってるなぁ。記録用かな?
舞台構成
全 2 幕で各 3 場の舞台構成です。
古典全幕バレエで休憩 1 回というのはスピーディーな演出をもってする御大ならではです。
スピードアップは賛成なんですが、バヤデールに関してガムザッティが怒りの拳を振り下ろした後は一息入れたいところです。
ウチは二人の対決直後の休憩時にあーでもないこーでもないと議論するのが習慣ですからw
それはともかく第 1 幕 70 分というのは長いですが、筋が分かってる方にはお尻が痛いくらいで大きな問題にはならないでしょう。
でも今回が初バレエとか初バヤデールなどの方々にはちょっとキツイかもしれませんよ。
基本的な流れはバヤデールの原則に沿っていて第 2 幕第 3 場以外変わった演出はありません。
そうそう第 1 幕第 2 場ラジャの宮殿オープニングでのチェスの踊りは新鮮でとても良かったと思いました。
衝撃のラストに関しては別項にて。
舞台セット
初見は 3 階席再度バルコニーからでした。
緞帳が昇った最初の印象は一言 「狭ッ!!」
数日前より予習と称して自宅にあるバヤの映像 6 種を取っ替え引っ替え見てました。
セットが壮大なのはパリオペとボリショイですねぇ。
両者に共通する印象は奥行きの深さと舞台の圧倒的な高さです。
寺院の奥遥かに雄大な森が描写され、高くそびえる寺院など存在感が半端ありません。
K-Ballet のセットはゴージャスで鳴らしていますが、すぐ後ろに寺院の壁が立ち背景が見えないので手狭感が否めませんでした。
もっともこれはオーチャードホール舞台サイズの問題もありますので、その中で不要な部分をカットして工夫しているとも言えます。
3 日後に 1 階席から見た場合、狭い印象は薄らいだもののやはり少々の圧迫感はありました。
なんだか巨大な立像が 4 体もあるし。
ラジャの宮殿は内外とも装飾がゴージャスでした。遠景の湖と宮殿?も良かったです。
いちばん K-Ballret らしかったでしょうか。
ソロルがアヘンを吸引するのは通常自室ですが、熊川版では寺院の中なんですよねぇ。
マッハGoGoGo (年がバレるわ) みたいな鯨の骨様の寺院内装はピンと来ませんでした。
影の王国では制作ドキュメンタリーでケシの花模様だった背景が抽象的な色彩に変更されていました。
まぁこちらが正解でしょうね。
エキストラ
大僧正に従う僧侶が 6 名、くすんだ赤の僧服で現れます。
いわゆる「立役」ですね。
けっこうお腹がポヨンポヨンのオジサマ達でした。
まぁお腹はいいんですが、手のポジションがバッラバラバラです。
規定通りだと思われる鎖骨を指先で押さえている方もいれば、手が下がって乳首あたりを掌で覆っている方もいます。
「手ブラ」か!!w
ポジションについてクルッと回るときの向きや速度、これも出来れば合わせて欲しいですね。
バレエ舞台での歩き方って本当に難しく、素人っぽさがモロに出るところですからより一層の指導が必要だと思います。
ってか公募してないかな?立役。
衣装
これも K-Ballet ならではで、装飾品も含めたいへんゴージャスでした。
紫織カラーの紫色なガムザッティのドレスは特に綺麗でしたよ。
ただ事前の宣材で使用されていたニキヤ、ソロルの不思議な衣装がまったく使われていなかったのは残念でした。
本番の衣装デザインはディック・バードさんによるものなんですが、いつものヨランダ・ソナベンドさんから交代したんですか。
この宣材衣装のみがヨランダさんのなんですかね。
話題になった婚約式でのガムザッティ、ソロルの衣装。
巷では黒ということでガムザッティの殺意を深読みする意見も乱れ飛んでいましたが…
個人的にはベースは黒ですが、黒衣というより 金の印象 が強かったです。
まぁ目出度い式にふさわしいかどうかは微妙ですが。
ここでのガムザッティは一抹の不安を抱えながらも傍から見たら栄光の頂点にいるわけです。
キラッキラのオーラを出しまくる場面ですから、もっと華やかな衣装でもよかったようにも思えます。
影の王国でのチュチュは不思議なベールに覆われていました。
柔らかいイメージでこれはとっても素敵でした。
ニキヤ登場シーンの衣装 (ダンマガ表紙になったやつです) は頭が尖っているのでベールが上手く取れるか心配していましたが杞憂でした。
でも尖った頭はガムザッティのイメージなんだけどなぁ。
乳母アイヤ (家政婦ならぬ乳母は見た!) のこれまた濃い紫色で目だけ露出したサリー風のベールを頭に巻いた衣装は素敵。
宮殿の中を神出鬼没に移動して物語の要所で重要なポジョンを占める熊川版アイヤは F 嫁お気に入りの役です。
影の王国
これは完璧にブラボーです!
フルサイズ 32 人でないのは残念ですが、舞台の狭さから 6×4 の 24 人なのは仕方ないと思います。
それでも 24 人の息はピッタリで、相当のトレーニングを積んだことを思わせます。
国内のバレエ団でこんな素晴らしい影は初めて見ました。
舞台に並んでからも上げた脚の角度はピッタリ、アラベスクで次の動作に移る際の僅かなタメまで同調しています。
パ・ド・ブレもキレイでした。いや〜ここだけでももう一度観たいわ。
とはいえ賛辞一辺倒とならないところが当ブログの天邪鬼なところ。
ダンサーさんの個々の責任ではないところで 2 点気になりました。
1 つは再三再四申し上げている影がひとりひとり登場する部分です。
2008 年新国立劇場バレエ団のバヤデール の記事で写真に↓までつけて指摘しました。
ここは本当に細かなところなんですが、個人的に大いにこだわりたい箇所です。
ニキヤの幻影であるバヤデール達がまったく同じ動きで山を降りてくるという、シンクロがカタルシスを生むシーンなんです。
であるならばそれぞれが登場の瞬間、先に出た人達と一瞬でも異なる動きをすることにたいへんな違和感を覚えるのです。
登場する場所はニキヤの幻影を映せるよう、セットが透けた状態になっていました。
ならばそれを透けたままにしないでしっかり隠してしまえば、観客の目に触れる時にはシンクロしていて何の問題もないのに…
これって本当に疑問で一度詳しい方に聞いてみたいんです、マジで。
2 つ目はこれまた瑣末な箇所で申し訳ありませんが、有名な影の振付けでポワント・タンデュした際、腕がアン・オーになるところがあります。
そのアン・オーなんですがほんの一瞬、コンマ何秒かでも止まってほしいんです。
アン・オーを作った時にはすでに歩き始めていてせわしない印象を持ちました。
アラベスク・パンシェとポワント・タンデュという 2 つのパで構成されているのだから、双方を強調してほしい気がします。
素人が生意気な事を書き連ねてますが、影の王国が全体として素晴らしかったことは間違いありません。
再度コールド・バレエの皆さんに敬意を表します。
参考動画:ボリショイの影の王国です。
ジャンベの踊りと太鼓の踊り
ガムザッティとソロルの婚約内定を祝う為に、足首からベールを延ばしたジャンベの踊りが 8 人で踊られます。
熊川版以外と踊りの面では大きな差異はありません。
ただ F が感心したのは通常音楽が流れながらフェードアウトするように退場していまう踊り手達の事を考えていたからです。
毎回この踊りを観客として悔しく思うのですが、拍手するタイミングが無いんですよ。
熊川版では一端音楽を止めてジャンベの踊り手達が観客の拍手を受けるタイミングが設けられていました。
踊りも良かったので長年のモヤモヤが晴れてスッキリと拍手することができました。
太鼓の踊りは K-Ballet 男性陣の見せ場ともいえるダイナミックな群舞です。
通常は太鼓を持つリーダーの他、男女ひとりづつのソロが登場するのですが、熊川版では女性が 2 人でした。
公演からの帰りにつらつらと理由を考えていたんです。
自宅に帰って太鼓の踊りが収録されている様々なバヤデールを見てなんとなく分かりました。
海外カンパニーでは大柄ですごいプロポーションの、言ってみれば肉食系の様な迫力満点な女性ダンサーが踊ることが多いようです。
K-Ballet の女性ダンサーは巧いですが、そういう意味では迫力不足だから 2 人にしたのかなぁと推測しました。
いずれにしても太鼓の踊りは誰でも楽しめる迫力満点のパフォーマンスでした。
三つの拳(こぶし)
ここまで延々と F がバヤへの偏愛を語っているわけですが、さらにディープに 3つの拳(こぶし) に着目しました。
バレエのマイムで強く握った拳を上から下へとゆっくりと降ろしていくのは 「殺してやる」 の意味です。
まず 1 つ目 は第 1 幕 1 場、大僧正ハイ・ブラーミンによる拳 です。
自分が立場を利用して言い寄っている舞姫ニキヤと逢引きしていたソロルに対して怒りの拳を振り降ろします。
僧職とはいえ完全に色恋にトチ狂っている大僧正ですが、ここでの拳は「殺してやる」まではいかないような気がします。
せいぜい「あの野郎‥許さん」程度ではないでしょうか。
2 つ目 は 領主ラジャによる拳 です。
怒りに任せて国を治める長に告げ口に来た大僧正ハイ・ブラーミン。
「ソロルは神に仕える寺院の舞姫に手を出した悪い男です。お嬢様との結婚などとんでもない。罰してください」と、
恋敵を貶めるつもりで密告したのに、娘可愛さのラジャは舞姫の方を 「抹殺してやる」 とは大僧正にとって藪蛇もいいところです。
この場合のラジャには明確な殺意があり、これが 3 つのうちでいちばん正統的な「殺してやる」でしょう。
3 つ目 はご存知 令嬢ガムザッティによる拳 です。
ニキヤとの直接対峙した後に拳を握るのですが、これには 2 つのパターンがあります。
時間を遡ること少々、ラジャとハイ・ブラーミンの会話を立ち聞きするガムザッティがいます。
ここでハイ・ブラーミンがラジャに言った、ソロルが寺院の舞姫(バヤデール)と関係している‥まで聞いてショックで立ち去る場合。
もう一つはラジャがニキヤ抹殺をハイ・ブラーミンに告げるのまでも聞いてしまうパターンです。
熊川版は後者、父の殺意を認識してしまうガムザッティなのでした。
父がニキヤを抹殺を決意したのを知らずに拳を握る場合は、せいぜい「あの女、絶対に許さない!」程度でしょう。
知っていた場合は「お父様に殺されておしまいなさい!」てな雰囲気でしょうか。
ややこしいのですがパターン化すると次のようになります。
A ニキヤの舞いの最中、ラジャがガムザッティに殺害を耳打ちする。父の殺意を知っていたガムザッティはほくそ笑む。
B ニキヤの舞いの最中、ラジャがガムザッティに殺害を耳打ちする。父の殺意を知らなかったガムザッティは一瞬驚くが 「止めて」 とは言わない。
C ラジャはガムザッティに殺意を告げない。ニキヤが倒れるとガムザッティは驚き 「お父様…まさか…」 と父を見据えたままたじろぐ。
ボリショイでガムザッティを十八番にしているアレクサンドロワは C パターンなんです。
ガムザッティ性善説 の F としてはじつは C がいちばん好きなんですけどね。
熊川版バヤデールは A のすべて知っているパターンでした。
なんといっても熊川版ではガムザッティは悪役ですから。
なので倒れたニキヤが見上げるすぐ先で、これみよがしにソロルに手を差し出し 「わたくしの手をお取りなさい」 と見せつけるわけです。
う〜んエグイな。
そもそも花籠をソロル経由でニキヤに渡させるというのは残酷な演出ですが、同時にじつに効果的な手法ですね。
ここまで書いてきたら 変な妄想 が浮かんできましたよ。
ガムザッティは父がニキヤを手に掛けることを知っていたとすれば…
本当の悪女であるなら、そのまま何もせずニキヤが排除されるのを待っていればよかったのです。
乳母アイヤに命じてニキヤを連れてこさせる必要はないのです。
こんな妄想を抱いているのは F だけとは思いますが…
ガムザッティはこの時点ではニキヤを説得して身を引かせることで彼女の死を回避しようとしていたのではないか、と。
もちろんプライドが邪魔して素直には伝えられません。
私には地位も財産もありソロルにふさわしい、お前は神に仕える舞姫 (バヤデール) の身であろう、分をわきまえよと。
頭を垂れていたニキヤがブチ切れて聖なる炎の前で云々と反論され、果ては刃傷沙汰になりかけてついにガムザッティも父と同じ仕草に至ると。
「あんな女‥お父様に殺されておしまいなさい!」
う〜ん全世界で自分ひとりだけだな、この妄想は。
第 2 幕第 3 場
熊川版バヤデールのいちばんキモになるのがここです。
まずソロルが死にます。
これはニキヤの幻影に導かれてあの世に旅立ったとされますが、個人的にはアヘンのオーバードーズですねぇ。
かなり勢いよく吸引するシーンがありました。
前述したように自室ではなく寺院の中でアヘンを吸引するというのは古代インドと言われる時代の風俗から見てどうなんでしょう。
それが問題無いとしても寺院の中が殺風景なので、最初に 「あれ?寝台が無い」 と思ってしまったのでした。
床に倒れているソロルですが、最初に着ていたマントを広げて敷いたので 「バジルか!!」 と心中でツッコミましたw
影の王国が終わり再び寺院の中に戻った時、ボディダブル役が床に倒れこんでいるところにラジャやガムザッティがやって来ます。
ここで衝撃の白蛇です。
そういえば大僧正ハイ・ブラーミンの帽子には蛇のモチーフがありました。
そういう装飾があるということは、信仰上蛇が何らかの重要な印しなのでしょう。
ソロルの意識が無い事に驚いたガムザッティが走り寄りソロルにしがみついた途端、大きな白蛇がガムザッティの首に噛み付きます。
プログラム等によれば白蛇はニキヤの化身であるということです。
ここで混乱が生じました。
ソロルの死因も白蛇に噛まれたことなのでは?と。
SNS や掲示板でもこの説は根強くありました。
最終的にはソロルがニキヤの亡霊に連れ去られた (=亡くなった) 後、白蛇がガムザッティに復讐するために現れたということらしいです。
ここは斬新ではありますが、いまひとつ消化しきれていない印象を受けます。
ガムザッティに肩入れする F はここでも熊川版バヤデールにおける彼女の扱いが気に入りません。
白蛇に噛まれた後、倒れたガムザッティを家臣が担いで退場というのは扱いがあまりに失礼です。
その後すぐに寺院崩壊で全員死亡なのですから、何のために先に捌けさせるのかよく分からない演出です。
そもそもバヤデールの主要登場人物の中で、最もまともな人間であるガムザッティがかわいそうです。
ガムザッティ がいちばんまともというのは変ですか?
ニキヤ は神と契約した寺院に仕える舞姫の身でありながら聖なる炎のすぐ横で男と愛欲にふける悪人なわけです。
大僧正 ハイ・ブラーミン は権力を背景に部下であるニキヤを手篭めにしようと画策する悪人です。
領主 ラジャ は絶対権力者であり愛娘が大事なあまり、神罰を恐れず寺院の舞姫を亡き者にせよと命じる悪人なわけです。
ソロル は規律を重んじる軍人でありながら寺院の舞姫に手を出し、同時にガムザッティの美貌と財力に乗り換える悪人です。
ガムザッティの育ってきた環境、立場を考えれば、彼女の言動はごく普通のいいとこのお嬢様です。
ガムザッティだけが普通の人間なのですよ。
ラストシーン
ガムザッティの事になるとつい興奮してしまいますな。
最後は熊川御大が思い入れがあるブロンズ・アイドルが登場するラストシーンです。
ブロンズ・アイドルは祝賀の最中に登場したり、結婚式の前に現れたりと版によって扱いがかなり異なります。
熊川版では寺院崩壊の後に登場するのです。
地上の人間どもの汚れた心を浄化する為にブッダの化身であるブロンズ・アイドルが舞うということだそうです。
これは御大なかなか考えたなと思いました。
この仕組みがわかってから、音楽は変える余地があるだろうかと考えました。
ブロンズ・アイドルの例の曲はそれにふさわしいのかと。
でもあまりにも曲とブロンズ・アイドルの振りは一体化しているので分離変更は難しいかなと思い至りました。
曲が終わった直後、エンディングの壮大なテーマのつながっていきますが、そこへの繋がりはなかなか良いと思いました。
制作ドキュメンタリーで御大が曲の繋がり部分に間を開けるか悩んでいたのが印象的でした。
結局開けることで拍手のタイミングは生まれたものの、個人的には隙間なく雲のシーンに続いた方が気持ちが入ると考えています。
ステージ幅いっぱいの白い布を使ってブロンズ・アイドルを一気に覆い隠し、天上の雲を表現するのは斬新でした。
スモークを使わない理由はおそらくスピードかな。これだと一瞬で場を変えられますから。
ところで 3 階席から観ていたらブロンズ・アイドルが海に沈んだwように見えましたよ。
1 階席から観たらなるほど演出の意図がよく分かりました。
ただ布を動かそうと左右の舞台袖から人が一生懸命上下に振る動きが想像できてしまうのはどうでしょう。
おまけに動いているのは袖側だけで真ん中はビクともしてないし。
この布を使った演出は他に無いものだし、細部をブラッシュアップしていったらもっともっと良くなると思います。
ニキヤとソロル
最後の最後、ニキヤとソロルはスロープ上で正対しお互いに歩み寄ります。
緞帳が降りるまでに二人の距離はゼロにならないのですが、正対しているということはあの世で結ばれるという前章なのでしょう。
個人的には登っていくニキヤと追いかけるソロルが最後までニキヤに追いつかない、もしくは取り残される演出が好きです。
全員悪人なんですから二人だけあの世で幸せになっちゃいけませんw
総論
ポリシーも脈絡も無く思いつくままに書き連ねてきました。
プロフェショナルなカンパニーに対して素人論評が失礼な点は重ねてお詫び致します。
熊川版バヤデールは宣伝文句にもあるように 「美しき舞姫と戦士の恋物語」 なんです。
F が思うバヤデールはただの三角関係でなく、人間の愚挙、原罪を赤裸々にさらけ出す悲劇なんです。
そこに持っていけたらより芸術的、哲学の域にまで達すると思うのです。
F 嫁から公演翌日に届いたメールから引用します。
「バヤデールでは恋愛の素晴らしさよりも、人間の弱さ・愚かしさにため息をつきたい…」
まったく同感です。
同感であるからこそウチは少なくともバレエ鑑賞に関してはなんのストレスもなく言いたいことを言い合えるのでしょう。
K-Ballet 「ラ・バヤデール」 はたいへん意欲的な構成と演出で楽しませてくれました。
実質メインキャストだった我が家推しメンの 浅川紫織ちゃん も大車輪の活躍でした。
いつの日か再演されることをものすごく楽しみにしています。
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おまけ…青田買い
バヤデールに限らずコール・ド・バレエの若手の中に好みのダンサーを見つけることは F が大いに楽しみとしているところです。
今回 K-Ballet ではアーチストの 新井友里ちゃん に目が釘付けでした。
第 1 幕の巫女では長い手脚と優雅なアームスが目を惹きつけました。
ジャンベの踊り、影の王国にも参加していました。
音楽性を感じさせる踊りで好みです。
アラベスクで伸ばした手の先に空間を持っているイメージ、何ともいえない優美さを備えています。
彼女は K-Ballet スクール出身で、昨年の 9 月にアーチストとして本採用になったばかりの新人さんです。
立役での演技等まだまだ画一的な面もありますが、これから伸び代たっぷりの若手ダンサーです。
昨年 8 月の K-Ballet ユース第 1 回公演 「白鳥の湖」 において友里ちゃんはオデットとして一足先に主役デビューしました。
こんなことだったら無理してもユースの公演を見に行けば良かったです。 (フライヤー左側のオデットが友里ちゃん)
初めて映像で彼女を見たのは、別のドキュメンタリーで御大に感情の発露についてガンガン注意されていたシーンでした。
いま思えばあれがユース白鳥のレッスンだったのでしょう。
F & F 嫁が紫織ちゃんに注目した時、すでにキトリの友人という役をもらえる立場でした。
コール・ド・バレエから着目していたダンサーが成長していくのを見守るのは何より楽しみです。
友里ちゃんの今後の成長と活躍をお祈りしています。